vol.3 寺尾紗穂

親子で聴きたいオチャノマ音楽ー3

 

寺尾 紗穂
母として、音楽家として、

まっすぐにみつめ、まっすぐに歌う

伸びやかな歌声でピアノに向かって歌う。
聴く人の心にしみ込む優しく温かな曲たちは、
人が見過ごすような社会問題や、弱い立場の人をいつもまっすぐに見つめています。
それは、光に隠れた影の美しさがわかる人にだけできること。
そんな寺尾さんに、子育てや創作のことをお聞きしました。

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ーお子さんは何人いますか?
寺尾:3人です。

ーお子さんがいると、創作の時間があまり無さそうですね。
寺尾:そうですね、練習時間は全然ないです(笑)。

ーお子さんが産まれてから、創作活動に感覚的に変化はありましたか?
寺尾:大きな変化としては無いですけど、『愛の秘密』というアルバムが出た直後に長女が産まれたんです。そもそも、『愛の秘密』っていう曲自体が子どものことを歌った曲なんです。自分が何かやってあげる、守ってあげるっていうよりは、自分に教えてくれるというか。何かを知っているような、そういう存在に感じました。

ー子どもに接する時に気をつけていることはありますか?
寺尾:あまり何も考えないかな(笑)。ガミガミ怒るのは減らしたいので、できるだけ楽しく。その時に歌の力を借りることはあります。
下の子が保育園に行って、私とわかれる時にぐずる時があるんですが、その時は保育園の門まで、一緒に作った歌を歌ったりします。そしたら、すんなりわかれられるんです。
上の子は少し繊細で「学校に行くのがやだー」なんて言ったりしてるんですけど、たとえ行かなくなってもいろんな逃げ道があることを親が勉強しておくのも大事だと思います。

ー子育てしていて、自分のお父様やお母様からの教えがオーバーラップすることはありますか?
寺尾:あまり道理を説かれた覚えはなかったですね。わりと自由というか、やりたいことを認めてくれるような環境でした。
進路に迷っていた時は「どうする」のって、聞かれた時もありました。結果的に大学院も博士課程には行かずに修士課程でやめました。

ー当初は学業の方に進もうかと思っていたそうですね。
寺尾:『評伝 川島芳子 男装のエトランゼ』(文春新書)は修士論文が元になってるそうですが、川島芳子*1は何が魅力だったんですか?
最初は、中学1年生の頃『驚きももの木20世紀』という三宅裕司が司会の番組があって。それで李香蘭と共にとりあげられていて興味をもちました。翌日に図書館で調べました。謎めいていて、なんで男装してたんだろうとか。実際に中国に行って、川島芳子が捕まっていた刑務所跡地に行ってきましたが、その刑務所は結局見つからなくて大きいマンションが建っていました。最初は単なる好奇心でしたが、調べるにつれ、日中の間で揺れる彼女の姿が気になり始めました。

ー寺尾さんの表現のスタイルは、社会的な問題にアプローチして、それを曲として形にすることだと思います。学生運動の時代のフォークなどにはあったことだと思いますが、今は少ないと思います。それを貫いている信念みたいなものはありますか?
寺尾:ツイッターとかで、社会的な発言を聴きたくないっていう人もいます。そこに踏み出さないやり方もあるとは思うんですが、私の場合は山谷*2で、あるおじさんに出会うきっかけがあって、しかもそのおじさんが亡くなったことで考えざるを得なかったというか。そういう出会いの種をもらってしまったから、それは自分が動かないといけないなって。

ーそもそも山谷に行ったのはどうしてですか?
寺尾:都立大(現:首都大学東京)の夜間部の自治会の会長をしていた方が山谷の活動に参加していて、ある時山谷の夏祭りに誘われて行ったんですよ。

ーそこで出会ったおじさんが『アジアの汗』や『ある絵描きの歌』や『家なき人』のモデルとなってるわけですね。
寺尾:『アジアの汗』のPVがYouTubeに上がってるんで、その方の絵を見てみてください。アクリル絵の具で描いた浮世絵みたいな感じです。

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