親子で聴きたいおちゃのま音楽-4
扇谷研人ピアニスト・作編曲家
音の先にいる人を大切にする
坂本真綾、西野カナ、平原綾香など数々のアーティストのセッションプレーヤーとして
サポートをしてきた扇谷さん。
その旋律にはたくさんの人達の思いが重なります。
アーティスト、それを聴きに来たファン。
扇谷さんの演奏は、音楽の良き翻訳者となって、アーティストも、お客さんも思いやるものです。
その姿勢は3万人のアリーナでも、小学校の出張演奏会でも変わりません。
そんなピアニスト扇谷研人さんに、様々なことをお聞きしました。
photo:中野 修也
子どもたちの反応は素直で元気
調布国領小学校で出張コンサートをされているそうですね?
扇谷 おかげさまでとても好評で、5回開催しました。他の楽器のメンバーも入ったりしますが、主に妻の花れん*1と僕で、いろんな曲を演奏します。
どんなコンサートなんですか?
扇谷 子ども達に喜んでもらえるように、ジブリや童謡、ディズニーなどの曲を演奏して、1曲くらい自分達のオリジナル曲もやらせてもらいます。最近の子どもは反応が鈍いとか、都会の子どもは元気がないとか噂では聞いていましたが、実際に演奏してみたらそんなことはまったくありませんでした。みんなとても素直で元気ですよね。「ふるさと」など童謡のときは立ち上がってみんなで一緒に歌いました。コンサートが終わった後は取り囲まれて「大好き大好き!」くらいの感じです(笑)。
ピアノは何歳くらいから始めたんですか?
扇谷 父が音楽好きで、ジャズからポップスまでいろんな音楽を聴いていてた影響もあって小学生の頃にYAMAHA音楽教室でピアノを習い始めました。
その後、僕が高校生のときはイカ天*2などのバンドブームで、それでバンドをはじめました。そしてじつは、ピアニストの松本圭司君*3が高校の同級生だったんです。彼の刺激もすごく大きかったですね。彼から、プリンス、パット・メセニー、スティーリー・ダンなんかを教えてもらいながら、学校祭では“X”のコピーバンドのサポートやったり(笑)。
音楽に本気になったのは高校を卒業した後でした。札幌で10代の腕の立つプレーヤーばかりが集まってできたバンドがあったんです。もともと松本君がそのバンドの一員で、彼が抜けた後に僕が入りました。そして、そのバンドでYAMAHAのコンテストで全国大会まで行ったことをきっかけに東京へ行こうという気持ちになったんです。
東京でミュージシャンを目指すのは覚悟がいると思います。
扇谷 北海道って陸続きじゃないので、海を越えていくっていうのはけっこうな壁なんですよ。ススキノでハコバンをやったりしながらお金を貯めて、24歳くらいで上京しました。
セッションプレーヤーとして仕事をしたいっていうのが強かったんです。でも、最初は誰も僕らのことなんか知らないですよね。だから、とにかく知り合ったミュージシャンといろんなライブハウスで演奏をして、いいなと思ってくれたら次に繋がって。その繰り返しでしたね。